温泉の記録は明治(1874年)「北海道地誌要領」が最も古く、「音更川湯、河東郡ニアリ、泉質未詳」とあります。この一帯は当時、葦の生いる茂る湿地帯でした。小さな沼が点在し、常に生ぬるい湯が湧き出しており、その周辺は冬も凍らないことから鳥や獣の休憩場になったほか、アイヌの人たちの間では「薬の湯」という語り伝えもありました。
明治33年(1900)、依馬嘉平が自然に湧いているぬるま湯を1メートル四方の箱に引き、沸かして近所の人々と利用したのが温泉の始まりです。その後、本別の前田友三郎が温泉の価値を予見し、大正2年(1913)に手堀り工事で掘削すると30~36℃の温泉が吹き出しました。そこで本格的な温泉経営に乗り出し、2階建て70坪という豪華な旅館が完成、これが今の「笹井ホテル」の前身です。
昭和3年(1928)には雨宮駒平が機械工法によるボーリングを試み、湯量も豊富な42℃の温泉掘削に成功。当時の小樽新聞にも大きく報じられました。
温泉は当初「下士幌温泉」と呼ばれていましたが、その後「雨宮温泉」という名称経て、昭和初期に「十勝川温泉」になりました。昭和9年頃には、温泉旅館は「笹井旅館」、「雨宮館」、「十勝川温泉ホテル」、「観月」と4つになり、小料理屋や雑貨店、土産店もでき。温泉街の形が整っていきます。帯広からはバスも運行し、十勝川の対岸には渡船でいつでも行き来できるようになりました。
国際情勢が悪化した戦時下においては、温泉経営は苦境を余儀なくされましたが、戦後復興とともに息を吹き返し、昭和25年(1950)帯広市で開催された「全国レクリエーション大会」で指定宿泊施設として利用されたことや、29年(1954)の両陛下御巡幸で「十勝川温泉ホテル」がお泊まり所の栄に浴するなどで、全国に名を知らしめ、折からの観光ブームにも乗って温泉は発展していきます。十勝川温泉の宿泊可能の収容人員は1日4200人前後、現在の市街地はホテル、民宿、飲食店、土産屋など18軒公共施設4ヶ所で構成されています。
※出典資料「音更百年史」
道の駅ガーデンスパ十勝川温泉について